ライトノベル受賞作品

「ひとでなしたちの思い出」
 数年前、砂浜に打ち上げられ、死にかけていた幼い、美しい人魚を助けた。
 上半身が人間で、下半身が魚のそれを見つけたとき、慌てて駆け寄って見れば人魚だったのだから、私は大変驚いた。
 気を失っている人魚が苦しそうに呻くのを聞いて「売れば金になるだろうか」と考えた私は、外道なのかもしれない。確かに人魚の稚魚なんて高く売れるだろう。この貧しい漁村を救うこともできたかもしれない。
ーだから私は今でもよくわかっていないのだ。ある日、私が冬の海で手を冷やして、火傷など決して負わせぬよう、人魚を海に帰してやった理由を。

 人魚の成長は早かった。数日おきに、私がよく散歩をする、人気がない入り江に現れる彼は、私にひどく懐いていたようで、散歩中のw足しを見つけてはぶんぶんを手を振るのだが、その腕が見るたびに長くなっているのは気のせいではないだろう。一年も経てば、彼の腕は私の腕の灰の長さになった。それは体やひれも一緒で、遠目に見ても、どうやったってあの日のように私の両手の中には収まりはしないだろう。
 今日もまた、彼は私に手を振ってくる。いつも思うが、あれはなんなのだろう。挨拶だとか感謝のつもりなのだろうか。そんなものいらないから海中へ帰れといってやりたい。
 稚魚でなくとも、女でなくとも、人魚は人魚だ。美しい声で歌い、美しい顔を持って、その肉は食した者に不老不死を与える。娯楽によし、飽きたら食してよしの素晴らしい商品だ。きっと高値で売れるだろう。
 誰かが彼を見つけてしまえば、あの日のw足しのように考えるだろう。「売れれば金になるだろうか」と。しかし、あの日のw足しのように見逃してやろうと考える保証はどこにもないのだ。
 ここからでは早く帰れと言っても届くまい。かと言って身振りが通じる気もしない。
 私は、いつも通り、何もせず、何も言わずその場から離れた。これが、一番早く彼をこの入り江から離れさせる方法だと知っているからだ。
 背後から細波の音に混じって、ポチャンという音が聞こえた気がした。

 東の入り江に人形が出るという噂が私の耳に入ってきたとき、私はすぐさま入り江に向かった。
 ざぶざぶちと水の中に入って行く。服がぬれてまとわりつくが気にしていられない。
「人魚!人魚!」
 声を張り上げて彼を呼んだ。
 ひどい呼び方だが仕方ない。私は彼の名前を知らない。数年間、会い続けていたのに、声をかけたこともなければ、手をふり返したこともなかった。
「出てきてくれ! 後生だから」
 みっともなく叫んだ。
 噂はたてど、未だ人の少ない入り江に声が響く。
 ふと、ポチャンと音がした。何度も間いたことのある音だ。
 私は音のした方を向く。そこには、私よりも大きな人魚がいた。
 彼は私を見つけると、その美しい顔に、きょとりとした可愛らしい表情をさせて、それから満面の笑みを私に向けた。
「また、あえたね!」
 たどたどしく人間の言葉をしゃべる彼は、私の胸くらいまである水の中をすいすい泳いで近づいて来た。
「まえ、ありがとうね。ぼく、おれいする!」
 そんなものはいらない。帰ってくれ、頼むから。
 そう言え前に、彼は私に、彼の青白い鱗のついた手を差し出した。その上に、月のように白く淡く光る真珠が乗っていた。
「これ、のんで。そうしたら、しなない。としもとらないよ」
 彼はそう言って、ずいっと手を差しのべた。
 私は真珠をじっと見る。
 成程、これが人魚が不老不死になると。そういうことだろう。
 私はそれを受け取った。飲みはせずに、ポケットに入れる。
 彼は不思議そうな顔を浮かべた。私が真珠を飲むものだと思っていたでらしい。
「どうして?のんで。そうしたら、いいことたくさんあるよ」
 私は首を横に振った。
 もし私が損得勘定で動く人間であったなら、迷いなくこれを飲んだだろう。そして、穴の日も迷うことなく彼を捕まえて売り飛ばしただろう。けれど、私は損得勘定で動く人間ではなかった。それだけだ。
「いらない?」
 首を傾げる彼は泣きそうな顔をする。お礼を拒否されたからだろうか。でも許してほしい。こんな話をしている暇はなかい。
「人魚、海の中に帰るんだ。帰れ。そして、もう出て来てはいけない」
 私はできるだけゆっくり、彼が私の言葉を聞きとれるように言った。
 彼は私の言葉を理解したのか、困惑の表情を浮かべた。
「なんで? どうして? いや?」
 矢継ぎ早の質問に答えてやる気はない。一から十まで説明してやったとして、彼が私の言葉をきちんと理解できる可能性も、残り時間も少なかった。
 私は、彼の腕をつかんだ。冷やかしていない手は、海と同じくらい冷たい彼の肌を焼いた。
「あ゛ゔっ!?」
 彼が火傷の痛みに叫んだ。
「痛いか? 痛いだろう。またここに来るなら、同じことをする。いやなら帰れ。もう来るな!」
 きっとひどい痛みだろう。数日経ってもじくじく痛むだろう。ーだからもうし来るな。
 彼はこくこく、涙を浮かべて頷いた。
 ポチャンと音が響けば、彼はもう、私の視界から消えていた。
 海しかない景色は、もう細波の音しかしなかった。

 私は真珠を飲まなかった。
 人魚が消えても、噂が消えても、私は真珠を飲まなかった。
 あの日、人魚を助けた理由はわからない。
 少し前に彼を入り江から逃した理由も。
 「人魚を売れば金になる」なんて考えた外道な人間が、二度も人魚を助けるなんて、おかしな話だ。
 私はただ、彼が寄こした、最初で最後のお礼を、失くしてしまわぬよう、小さな箱に入れて、鍵をかけるだけだった。