ライトノベル受賞作品

「旅人の足を止めるもの」

「これは祖母から聞いた話なのですが」
 そう前置きして、男は話し始めた。ー冬のひどく残酷な灯の話を。

ーどれくらい昔のことなのかは、私も知らないのですが、徒歩で旅をする人がいて、その人らが頼りにしていのは星だっていう頃の話らしいですから、相当昔ですよねえ。今じゃ鉄道があって、方位磁石がありますからねえ。今じゃ鉄道があって、方位磁石がありますからねえ。
 でもまあ、そんな昔のことでして、危険な旅路も少なくなかったそうですよ。例えば、冬の夜、吹雪で頼りの星も見えない、とか。だからね、死んでしまう人もいたんですって
 春になると、溶けた雪の下から死体が出てくることも珍しくなかったんですって。
 祖母が生まれた村でも、そういうことがあったらしくって。春の日、暖かい日差しに溶けた雪の下から見つかったんですよ、死体。
 それが妙に幸せそうに死んでいる死体だったんですって。仏様より穏やかに笑ってらっしゃる死に顔でね、村の人は首を傾げたそうですよ。
 だって、ほら、ねえ?死に顔って、しかも凍えて死んだ人の死に顔って笑ってるようには思えないでしょう?
 それとも寒さで極楽浄土の幻でも見たんですかねえ。
 ……へえ。ほうんとうにそういう現象があるんですねえ。でも残念。これは、そうではなかったんですよ。
 あはは、自分で幻でも見たのかと言ったくせにって思ってらっしゃいますか?……でも、半分は幻であっているのですよ。
 まあまあ、最後まで聞いてくださいって。
 その旅人の死に顔の謎が解けたのは、次の年の冬でした。
 吹雪の夜、村の火平という人のところに、見知らぬ旅人が訪れて来たのですよ。
「おうい、おうい、誰か居らんかね」と。
 火平が出ると、その旅人は真っ青な顔で言うのです。
「助けてくれえ。おれの仲間がおかしくなっちまったんだ」
 旅人の言葉に正義漢だった火平は頷いて、村の男を集めて、旅人の仲間がいるという方へ向かいました。
 夜。吹雪の中。何もなかったはずの平野にポツンと暖かい灯のもれる家があったそうです。
 ええ、本当に何もなかったはずらしいですよ。
 春、夏、秋、冬でさえも、こんな家を見たことはなかったそうで、村人は驚きました。
「こん中だ。こん中におれの仲間が居るんだ」
 旅人の言葉に、村の人たちは戸口を開けて中に入ります。
 するとそこでは、二人の男がそれぞれ何もない空間を見ながら、幸せそうに一人で、ぶつぶつと何かを言ったり、笑ったりしているのでした。
 旅人や村の人が男たちを正気に戻そうと、肩を掴んで、呼びかけて、頬を叩いたりしたのですけど、正気の戻る気配はなく、男たちは幸せそうに笑うばかりで。
 これ一体どういうことだろうと皆が頭を抱えていると、ふいにね、家中の灯が空中に集まったというのですよ。
 かまどの灯、行燈の灯、ろうそくの灯。その全てがね。
 そして家の中の灯が全て集めると、戸口からスウッと出て行ったんです。
 男たちがそれを追いかけようとするものだから「行くな」と皆で取り押さえようとしたのですが、二人とも「頼む、後生だ、行かせてくれ」と言うのです。
 二人の言葉は段々方言が混じっていって、しかもここらへんの方言ではなかったそうで、最後の方は「女房」「子供」「家族」「灯り」くらいしか聞きとれないかったそうですよ。
 二人は暴れに暴れて、村の人の手も、中もだった旅人の声も振りきって、飛んで行く灯を追いかけて、二度と帰ってこなかったそうです。
 残された旅人は身寄りがなかったそうで、村の暮らしを始めたそうです。仕事をして、結婚して、子供もできて、でも、あの冬の日以来、二度と旅をしなかった、と。

「おしまい」
 男が物語の終わりを告げる。
「ふうん。あの一軒家はそういうことだったのか」
 私は納得すると同時に、あと一歩間違えれば死んでいたのかと思ってゾっとする。
「よかったですね、近づかなくて」
「もう少し進めば小さい村と宿があると聞いていたからな」
「うちの評判が広がっているようですね」
「食事中に怪談話を始める宿だったと聞いていなかったがな」
「貴女が不思議な話を集めていると言ったのでしょう?」
「食事中にされると思ってなかったわ」
 私は留息をついて、男を見た。
 畜生、ニヤニヤしやがって。食欲半減したわ、この野郎。
「あはは。まあ、それはそれとして、まあまあ面白い話ではありませんでしたか?」
「面白くはあったさ。実物も見たしな」
 あの平野の一軒家。光の漏れる家。人を誘う擬餌。入れば幸福な幻に食われる。
「正体は狐か狸か妖か」
「さあて。私も知りませんね。あれの正体なんて」
「私も見当がつかないな」
 いや、そもそもこういう話において、正体を考える方がおかしいか。こういうのは正体がわからないから怖いのだ。
「ああ、どれほど滞在する予定でしたっけ?」
 食器を片付ける男が尋ねてくる。
「二、三日ばかり。吹雪が治まったらすぐに出るよ」
「忙しい方ですねえ。ゆっくりしていって、金を落としていけばいいのに」
「本音を隠す努力をしようぜ。な?」
 まあ、それは金を落としたくなっていう理由もあるが、さっさとここを出る一番の理由は、
「ここも、あの一軒家も変わらんのよなぁ」
 男に聞こえないよう呟いた。
 旅を続ける旅人の足を止めるものは、冬の夜の家の灯り。
ーこの宿だって、見つけたとき、ひどく優しくて暖かい光が漏れていて。私は茶を飲みながら、次の村に宿はあるかなんて考える。
 ふいに、男が私に言った。
「まあ、また来て、どうぞお金を落として行ってくださいね」
 にこにこ笑ってそんなことを言う男に、私は答えた。
「……冬がなければ」